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アンカー 1

​西川 康太郎 から 様へ

 先日ツイートしたばかりですが、こちらでも発表させて下さい。

 役者西川康太郎は5月で一旦一区切りとさせていただきます。それにあたり、しっかりと今の考えをお伝えしたいと思いこの文章を書いています。

なんとなく始めたこの仕事(と呼べるかはわかりませんが)がまさか20年以上も続くとは(しかも同じ劇団で!)全く予想もしていませんでした。
だからなんとなく、なんとなく始めた事だから、なんとなく続いてきたし、もし、その時がくれば、特に理由もなくなんとなく辞めていくのかなと思っていました。

というか、『その時』なんて考えもしませんでした。

それでも長く続けていれば『なんとなく』じゃいられなくなってきます。
初めは楽しいだけでやってきた芝居ももちろん上手くなりたいし、色々な事をやりたくなる。
30代の初めくらいに『あ、俺じゃなくてもいいな』と感じました。
他にもめちゃくちゃ色んな役者がいるし、俺より上手い奴もめちゃくちゃいっぱいいる。
そんな人とやるのがまた楽しいんですけどね。

まあともかく『あ、俺じゃなくてもいいんだ』は自分の演技にプラスに作用しました(たぶん)、演劇がより面白く感じたし、自分で自分にとっても予測がつかない事をやる(これはハルニの言葉)というような、20代の時には思いもしなかった芝居の仕方にも興味が出てきました。
自分は筋道を立ててコントロールするのが好きなので、自分の演技にとっては大発見というか……

おしゃれ紳士の作演出をする上でもどんどん変わっていきました(周りがどう思っていたかはわかりませんが)特に作劇に関しては、自分が言って欲しいセリフを書く、から、自分が聞きたいセリフを書く、に変わりました。どんな違いがあるんじゃい、と思われるかもしれませんが、言って欲しいセリフは結構、幅がせまいんですが、聞きたいセリフは誰が言っても大丈夫なんですよね。うーん、わかりづらいですかね。

『こうでなければならない』から『こうであっても(あるいはそうであっても)よいかもしれない』

に変わったんです。

それが30代半ばに『俺は自分を特に必要としていない』に変わりました。ちょっとネガティブなワードにも聞こえますね、ま、実際ポジティブかと言われたらそれはノーなんでしょうけど。

西川康太郎は『我が強くてナルシシストで融通が効かない』役者です。身近に居る人はよくわかっていると思いますが。
それが良い結果を生むことももちろんあると思います(たまにはね)。
だからどんな役も『どこまでも行っても所詮自分だろ?』みたいな考えがありました。

でも自分をかならずしも必要としなくなった時、何というか、自分は自分だけで自分なわけじゃないぞ、という……めちゃくちゃ当たり前な事がちょっとだけわかってきたんですよね。
具体的に自分の中にいる他人を意識するようになりました。

自分の中にいる鈴木ハルニ、自分の中にいる石黒圭一郎、みたいな事。
もちろんそれは本当のハルニでもなければひざでも無いんですが……
今まで出会った人の全て……ではないでしょうけど、出会った人の少しづつで自分が構成されてるんだなあなんて。J-POPの歌詞みたいです。まあ、やっぱ親父に喋り方似てるよね!みたいなレベルの話ですかね。

まあともかくそれがどんどん進んでいって、『役者として演じる』欲求より『役者を演出する』欲求の方が強くなっていきました。
やる、より、みる、の方が俄然楽しくなってきたのです。
何故なら『自分でなくとも良い』から。

もちろん役者をやる事はめちゃくちゃ楽しいです、が、この気持ちを抱えたまま役者を続けていく事で、何かよくわからないもやもやが溜まって行くのを感じていました。
ゲキバカの役者西川康太郎は自分の根幹にあるものです。それを疑う自分が出て来たのです。

自分は本当に演技がしたいのだろうか?

さらには

自分は本当に演劇が好きなのだろうか?

ゲキバカ

『演劇バカ』
の事です。

はたして『俺はゲキバカなのか?』という問い

だからその問いに、なんらかの答えを出さなければなりませんでした。

そこでゲキバカには、ベンタロー戦記以降の公演でゲキバカ3本観るまで出演はしない、という無理を聞いてもらいました(公にはしていませんでしたが)。

自分は役者を始めてからゲキバカ(劇団コーヒー牛乳)で無かったときが一度しかありません。1番最初、劇団コーヒー牛乳のワークショップ公演に出た時のみです。

だからゲキバカの公演に出るのは当たり前でした。その当たり前から手を離すのは、とても勇気がいる事でした。
でも、それをせずにいるのは『嘘』だなと感じ、劇団員に伝えると、『まあお前が決めたんならいいんじゃね?(要約)』という言葉を貰い、安心して休団する事が出来ました。
『なんとなく』ではなくちゃんと考えて決めた事でした。

ですがコロナ禍に入り、ゲキバカの公演はさまざまな形で頓挫していきました。

2年が過ぎた頃ハルニから連絡があり、『そろそろいいんじゃね?』と電話があり、『おお、そうだね』と休団を解除する事にしました。
こいつこのままだとタイミングなくてフェードアウトするかもしれんな、と思われたのかも知れません(本人に聞いてないのでわかりませんが、気を遣ってくれてマジありがとう)。

また俺は『なんとなく』劇団に戻って来たわけです。

久しぶりのゲキバカは楽しく、間違いなく、ここがホームだと感じました。
久しぶりの新作に出るという高揚感もありました。

ですが、また公演中止になりました。

何というか、これはかなり自分でもダメージがデカかったようで……

自分の中でどういう経路を辿ったのかわかりませんが

『自分で無くてもいい』という事を思った時から薄々気付いてはいましたが

自分は『役者としての西川康太郎に期待を持てなくなった』のです。

正確に言えば『結構前から役者としての自分に期待していなかった』事がはっきりと分かったのです。

こんな物は一過性のものかもしれません、考える時間があり過ぎて、余計なことを考えただけなのかもしれません。

でももう『なんとなく』芝居を続ける事は出来ません。


だから『役者』を引退します。


別に誰かに許されてやってるわけでも、望まれたからやってるわけでもない、自分がやりたくてやってるわけですから。

ぶっちゃけ辞めたくないですけどね。

でも今は一区切りつけさせて下さい。

もしかして来年早々に『やっぱ辞めるとか無理だったわ申し訳ない!』とか言ってるかもしれません。

でもここで一区切りつけないと、俺は何にも出来ない気がするので。

お騒がせしました。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

         
                                              2023年3月25日 西川康太郎

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